ナナメヨミ

第8回:『タイラー、たかが自転車レースじゃないか[1]』

2014.10.21


今回取り上げるのは、『シークレットレース』です。 自転車ロードレースのトップ選手の間で行われていたドーピング。アテネオリンピックの自転車競技[2]で金メダルを取ったタイラー・ハミルトンという選手の告白本です。プロフェッショナルのあり方と応援する側が及ぼす影響について弊社アナリストの大宮がナナメヨミ!

『シークレット・レース ツール・ド・フランスの知られざる内幕』タイラー ハミルトン,ダニエル コイル

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絶対的な『差』が如実に表れる競技

自転車ロードレース[3]の中でも最高峰にあるツール・ド・フランス[4]というレースは、90年代には深夜の地上波で放送していたので、多少は馴染みのある方もいるかと思う。私が見始めた頃はミゲル・インデュラインがツールを5連覇している最中であった。そのインデュラインの6連覇を止めたのがビャルヌ・リースという選手である。5連覇は100年の歴史があるツールの中でもインデュラインしか達成していない記録であり、それを止めたリースは当然次の年も優勝候補だと思われていた。しかし、翌年のツールでリースは失速してしまい、若手のヤン・ウルリッヒに変更し、リースはそのアシスト[5]を行うことになる。結果としてウルリッヒが総合優勝をしたのだが、大会前は優勝候補だった選手にアシストをさせる、この勝つために容赦のないチームオーダー(命令)を見て、すごいスポーツだなと思ったのはよく覚えている。

また、特に山岳ステージ(急な坂を登っていくコース)などでは『急に力がわき上がって逆転する』というようなマンガのような展開はほぼあり得ない。互いに体力を削り合って、最後まで体力が残った方が勝つという形である。どんなに強さを見せていた選手も体力がなくなった時点で集団から落ちていく姿を見ると(本の中ではマッチを擦っていって、そのマッチがなくなると表現されている)絶対的な力の差というのをさらけ出しながら行う競技であるといえる。3週間かけて走った結果なのに数秒の差が埋まらないというのがシビアなところである。

そういった人間がむき出しになるスポーツであるが故に人気を集めているのか、ツール・ド・フランスは、ヨーロッパではオリンピックやサッカーと並ぶ巨大なスポーツイベントとなっている。そのため、ツールで活躍することは人生を左右するほどの富と名声が手にはいることになる。一時期アメリカのスポーツ選手の長者番付において、ツールで連勝していた頃のランス・アームストロングが上位にいたことがあるが、ツールを制覇するというのはそのくらいの影響力はあるといえる。

今回取り上げる『シークレット・レース[6]』はそのランスのアシストであり、アテネオリンピックの自転車競技[7]で金メダルを取ったタイラー・ハミルトンという選手のドーピングに関する告白である。アームストロングもハミルトンもドーピングが認められた期間の戦績は(ハミルトンの金メダルも含め)剥奪されてしまっているが、その頃のトップ選手がいかにドーピングに巻き込まれて、手を染めていくかが克明に書かれている(冒頭に出てきたリースとウルリッヒはドーピングを認めている)。ドーピングが練習と同じように行われていたか、つまり、検査を逃れながら効果的にドーピングをしていく計画を立てて運営していたかを見ると『プロフェッショナル』の意味を考えさせられる。

たかだか注射一本で・・・

そもそも、『ドーピング』は楽をして成果が出るようになる魔法の薬ということではないらしい。今まで限界まで自転車をこいでも縮まらなかったタイムが、同じぐらい限界まで追い込むとタイムが伸びるというものだそうだ。つまり、努力をしなくなるのではなく、努力に対する結果が飛躍的に反映されるということだ。

ハミルトンがドーピングに手を染めたのは、改善の余地がない選手だったからではなく、自分を追い込んで成果を追求できる優秀な選手だったからである。ただ、今までトップ集団について行くのがやっとという同じぐらいのレベルで競い合っていたライバルが、急に先頭集団の近くでの走りをされてしまっては『フェアじゃない』と感じるのは当然とも思える。

競技に対して真摯に向き合えば向き合うほど錠剤一個、注射一本の差を痛感させられてしまうという状況である。当時のロードレース界で行われていたドーピングはEPO[8]という、血液中の酸素運搬量を上げることができる薬である。皮下注射をすれば良く、検査方法も見つかっていなかった。ヨーロッパでは国毎にドーピングの対応が異なっていたので、問題にされない(法的にできない)国もあった。

また、1日で決まるようなレースの場合にはEPOの意味はあまりないそうだ。つまりピークに持っていくのが1日だけなら運動能力や練習量などで十分戦える場合もあるらしい。問題は、3週間も走っていくようなレースで、落ちたパフォーマンスを回復させるような場合に効果が高いということである。つまりはツールのようなレースではより効果を発揮するということである。

ならば、全員がドーピングをすればいいのでは?という考えも出てくる。ロードレース界の最初の対応もこれに近いものになっていた。つまり、血液上の成分に関わる上限を決めてそれ以下ならば問わないという形にしたのだ(つまりそこまでの回復には目をつぶるということ)。ただ、これも本文中に解説があるが、薬による伸び代が大きい人の方が有利になってしまうのでアンフェアといえる。

そして、ツールを勝つという情熱の中に『効果的にドーピングをする』ということも組み込み、見事に組織化していくアームストロング。結果、ツールを7連覇することになる。当時のアームストロングの強さや、癌から復帰して世界最高峰のレースを制したこと、しかもドーピングなしにそれを行っていたということになっていたので、その成功物語に心惹かれた人も多かったのは事実である。

ただ、現実のアームストロングは、自分と敵対しそうなライバルの動向(つまり、どのようなドーピングを行っているか)を把握して、政治的にも利用したりもしている。ハミルトンのドーピングを検査機関にリークしたり、自身の影響力を使ってドーピング陽性をもみ消したりもしている。

アームストロングの描かれている姿は確かに高圧的で、とりつかれたように自分の物語を構築していっているようにも見える。が、歴史上の英雄と呼ばれる人もこういった部分を持ち合わせていたのではないかと思うとこれにも考えさせられてしまう。それこそが、「勝利のみを目指すプロフェッショナルの行動だ」といわれても否定しようがない。

最初にチームメイトのドーピングを目撃したハミルトンは『彼らは自分よりプロフェッショナルに見えた。自分はまだその秘密結社に入れるレベルじゃない。もっとやるべきことがある』と思ったらしい。また、自身が鎖骨を折りながら、ツールの歴史に残るような逃げを打ってステージ優勝した場面では『詐欺師と呼びたいのなら呼べばいい、自分は皆と同じ条件の中でプロフェッショナルに振る舞っただけだ』と書かれている。

誰が望んだ英雄だったのだろうか?

このゆがんだ状況や薬に手を出した選手を批判することは簡単だが、あの頃深夜のテレビを見て、熱狂していた自分も、彼らをこういった状況に追い込んだ影響の一端ということになる。何せ、ヨーロッパから遠く離れた日本でもアームストロングの名前は知っているし、ハミルトンやウルリッヒを英雄だと思っていたのは事実だ。

よくよく考えればスポーツやエンターテイメントの世界でよく見られるファンの、他人の目標達成に熱狂した人達から、『もっとやれ』と煽られたころで、当事者(競技者)にとっては何の意味もないとしてもよいはずだ。だが、地位と名声、巨大な利権はそういった熱狂によって生じやすいというのも事実である。しばしば競技を管理する側が政治的に動くことでアームストロング(の物語)を護ろうとする動きもあったようだ。純粋なスポーツ競技の側面と、盛り上がりのみを求める興業としての側面のせめぎ合いということになる。

題名にした引用は、ハミルトンがチームメイトから言われる一言で『自分が死んでもかなえたいと思っていたこと(レースに勝つこと)』を急にむなしく感じてしまうシーンである。最終的にはそのむなしさがハミルトンを告白に走らせたのだろうが、この種の自己客観視を行うことが、ゆがんだ社会的な圧力から逃れるための方法なのかとも思える。

また、自分が他人に投影している『こうあって欲しい』という欲求は、自分が思っている以上にゆがんでいるのかもしれない。『あなたならできる』、『夢を叶えてくれてありがとう』というのは一見『英雄』と『ファン』との美しいつながりにも見えるが、ある意味、ファンの側のゆがんだ欲求を英雄に押しつけているということも考えられる。そのようなゆがんだ欲求によって相手を縛っているとすれば、〝自己を客観視することでブレーキを踏むことが必要になる〟という点では応援する側も同じだといえる。

 


[1] 本文より引用 p389
『僕たちはクラッシュに巻き込まれた。僕はチェーンリングで腕を酷く切ってしまったが、それでもすぐに立ち上がり、先行の選手に追いつくために猛然と突進しはじめた。いつもの限界にぶち当たったが、それを乗り越えて地獄のように走り続けた。ホイールに滴った血が、あらゆる方向に飛び跳ねた。そのときニコラスに肩を叩かれた。
「タイラー、たかが自転車レースじゃないか」
最初、その言葉の意味が理解できなかった。でも我に返り、ニコラスが正しいと思った。たしかに、それはたがか自転車レースに過ぎなかった。』


[2] オリンピックの自転車競技
ロードのコースで個人のタイムを競う競技。チーム戦ではない。


[3] 自転車ロードレース
一般道を自転車で走る競技。特にステージレースと呼ばれる、複数日(3週間など)、長い距離(1日150~200km)を走るレースでは、優勝者は個人であるが基本的にはチーム戦で行われる。


[4] ツール・ド・フランス
毎年7月にフランスおよび周辺国を舞台にして行われる自転車プロロードレース。2014年が101回目。23日間、距離3300km前後、高低差2000m以上というコースを走る。他のロードレース競技の大会よりも抜きんでて知名度が高く、夏季五輪、サッカーW杯に続く世界で3番目に大きいスポーツイベントとして認知されている。
5勝以上している選手は4名であり、5連勝したのはミゲル・インデュラインのみ。ランス・アームストロングの7連勝はドーピングのため記録が剥奪されている。


[5] アシスト
チームの中ではエースを勝たせるために、エースの風よけ、補給や機材の運搬、他チームの動きに反応してその動きを封じるなどの役割を行う。エースにトラブルがない限り、エースより上位の成績を狙うことはない。


[6] 『シークレット・レース ツール・ド・フランスの知られざる内幕』タイラー ハミルトン,ダニエル コイル【著】小学館文庫 (2013/5/8)


[7] オリンピックの自転車競技
ロードのコースで個人のタイムを競う競技。チーム戦ではない。


[8] エリスロポエチン【erythropoietin】
赤血球の産生を促進する糖タンパク質。遺伝子工学的手段によって合成され,慢性腎不全の治療や輸血代替品として用いられる。 EPO 。(大辞林 第三版の解説)

コラム筆者プロフィール

大宮 昌治(おおみや・しょうじ)

筑波大学大学院理工学研究科卒 大手重電機メーカーで水処理プラント営業に従事 2003年 日本大学グローバルビジネス研究科(MBA)修了 2004年2月 株式会社インタービジョン(現:株式会社ヒューマンロジック研究所) 現在 株式会社ヒューマンロジック研究所 アナリスト(現在、組織分析、チーム設計等を担当) 理系大学院を出て、大手重電機メーカーに就職。新卒で何の関係もない営業に配属されたことで、『人事っていうのはどういうつもりで意志決定をしているん だ?』という疑問から人事コンサルに。 ガンダム、エヴァ世代、マンガも小説も群像劇が好き。特技は合気道。二段の腕前を持つ。趣味はプロレス観戦。 複雑系や、エージェントベースシミュレーションに興味があり、それを応用した人事ソリューションを考えたいと思っている。仲間募集中。

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柔軟に物事を受け入れ、白黒とデジタルに判断することを得意とする。アナリスト型。

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