ナナメヨミ

第9回:『理論』を取り扱うための作法

2014.12.24

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今回取り上げるのは、『量子革命―アインシュタインとボーア、偉大なる頭脳の激突』です。基礎理論をめぐる争いから変革に対する態度を読み解きます。

『量子革命―アインシュタインとボーア、偉大なる頭脳の激突』 マンジット クマール (著), Manjit Kumar (原著), 青木 薫 (翻訳)

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物理学者同士の戦い

物理学というのは自然科学の中でも特に厳格で、強固な領域だと思われている[1]。物理学の強固さの元になっているのは前提となる基礎理論が厳密に定義されていることである。当然、基礎となる理論は多くの検証を経てその地位を得ることになる。その基礎理論を崩すことは、ただのアイデアやSFとしてはできるかもしれない。しかし、本当に基礎理論を更新するということは、人間の自然に関する見方を完全に入れ替えようという挑戦になる。アインシュタインの相対性理論が重要な発見だとされているのは、相対性理論が直接的に示した結果だけでなく、その理論によって古典物理学の前提を解体したため、その影響が多岐にわたったということでもある。

同時に、新しい理論が採用されるということはそれなりに痛みを伴うことになる。その時点で最も高度で洗練された理解だと思っていたものを否定することになるからだ。確かに、アインシュタインはニュートンが作った世界像を覆す発見をしたのだが、当時、ニュートン力学をよく理解していた人からすれば葛藤もより大きかっただろう。

今回ご紹介する『量子革命[2]』は、そんなアインシュタインと量子力学を体系化したボーア、2人を軸に20世紀初頭の量子力学確立までの時代の物理学界を追いかけたストーリーである。

この時代、原子レベルの世界で発見が相次いだ。後で名前が出てくる人の発見だけでも次のようになる。私などにとっては『教科書の上の英雄』というところだ。

~プランク定数(プランク)、ラザフォード散乱(ラザフォード)、パウリの排他原理(パウリ)、不確定性原理(ハイゼンベルク)、シュレーディンガー方程式(シュレーディンガー)、コペンハーゲン解釈(ボーア)、・・・そして相対性理論と光電効果とブラウン運動(アインシュタイン)(もちろん一人が一つだけとは限らない)。~

これらの発見が大体19世紀の終わりから20世紀の最初の30年ぐらいでほとんど行われたのである。一人一人を取り上げても1冊ずつ本が書けるぐらいの物理学者であり、一つ一つが重要な発見である。また、ラザフォードがボーアを見いだし、ボーアがパウリやハイゼンベルクなどを見いだしたように、優秀な人材が優秀な人材を呼び、物理学以外の知見(数学や実験技術の進歩)も集中することで、このような時代が生じたともいえる。世界の見方が変わるほどの変革とはどのように進んでいくものなのかを臨場感を持って追いかけられる非常に面白い本である。

物理学者の取引

古典物理学の影響下にありながら、量子の仮説を証明していくという時期にその最前線にいた物理学者は、自分たちの発見に対して懐疑的であった。最初にエネルギー量子の考えを導入したプランクは『いずれ、正しい理論が出てきてこの仮説を覆してくれるだろう[3]』と考えていた。アインシュタインが示した『光量子』という考えも、あくまでも説明のための『仮説』であり、いずれ正しいことがわかれば自然となくなるであろうと考えていた[4]。ハイゼンベルクは自らのアインシュタインの手法に習って行った量子力学上の解釈をアインシュタインに相談したときに、アインシュタインから否定されたりもしている[5]

このように、この時代の物理学者は古典物理学の前提では成り立たないが量子力学の前提では成り立つ、という事象に対してどれだけ取引をするか(古典物理学の前提を捨てられるか)という決断を迫られ続けることになる。最後には量子の世界では古典物理学の前提そのものを捨てることになる。そして、この取引を積極的に進め、量子力学をまとめ上げるのがボーアである。アインシュタインはその取引の幕開けを担ったのだが、最終的には『対価を払いすぎでは?』と主張することになる。

そして、この偉大な2つの才能が最終的に真っ向勝負する様は知的格闘とかいう生やさしいレベルではなく、物理学が何を明らかにしようとしているかという物理学の存在意義を賭けた論争にまで発展することになる。

アインシュタインが譲れなかった代償

アインシュタインが光量子の理論に確率を持ち込んだ時も、『量子の世界で正しい理論を発見できれば確率(を使った定式化)が必要とされなくなる』と考えていた。ただし、アインシュタインが最終的に売り渡せなかったものは『物理の世界に確率を入れる』ことではなかった。有名な『神はサイコロを振らない』という発言のおかげで量子力学の中にある確率を認めていなかったと思われている。私もそんなイメージを持っていた。一般にも『最初革命家だったアインシュタインも年をとって、新しい物理学である量子力学について行けずそれを否定していた』というようにとらえられている。

ただ、アインシュタインは量子力学を認めなかったわけではなく、量子力学がその論理上否定してしまうことになる『実在』というものを捨てることができなかったということだ。量子力学では、観測者がいて量子は初めて『実在』することになる。ボーアは『観測しない限り対象としての実在はない』という認識まで到達した(ここは、電子なりの性質を何らか測定しようとして、測定を行ったらそこに電子が現れるというように考えてもらってよいかと思う)。アインシュタインはこの『実在』を捨てるのはあまりにも代償が高いと思っていたようだ(ここは、測るまで何もないというのはおかしいだろうということでよいかと[6])。ボーアとしては『実在』を認めてしまうと量子力学が持つ前提が崩れてしまうので、これでどちらも譲れない議論になってしまった。

ボーアは、できたばかりの量子力学を護らなければならない立場にあったのだが、アインシュタインはそれで満足してはいけないとばかりに量子力学を攻撃し続ける[7]。つまり、量子力学の枠組みすら解体し、越えようとしていたということである。真の革命家は革命が成功した後も革命を止めないということかもしれない。

個人的にはボーアが量子力学を『閉じた理論(完全な理論)』といったというのがアインシュタインは気に入らなかったのかな?と思ったりもする。もちろん、本当に閉じているかどうかはまだわからない。量子力学(ボーア)に対してほぼ一人で思考実験を使ってエレガントに(そして辛辣に)攻撃する晩年のアインシュタインについては是非本を読んでいただければと思う。

もちろん、この議論の決着はついていない。現在の量子力学でも『実在』があるかないかはまだわからないが、量子力学の予測を越える実験結果も提示されていないということになる。

変革に対する態度

個人的には改め変革というものに臨む態度というか、思考方法を考えさせられた。古典物理学と量子力学は矛盾する体系である。その矛盾をどの整合させるかという方向に量子力学は発展してきた。つまり、自分の信じる理論と矛盾する結果がその理論を発展させる足がかりになる。だからこそ、理論と現実との矛盾には真摯に向き合う必要がある。同時に、量子力学ですら矛盾をはらみ、再検討の対象になるのであるから『完全に閉じた理論というものは存在しない』ということこそ前提とする必要がある。

であれば、一つの理論を勉強しただけで社会全体を理解したなどと思うのは知的な怠慢でしかない。一つの理論に対して健全な批判精神を持って発展させていこうとすることこそ、その理論に対する最も真摯な姿勢であるといえる。

また、矛盾を解決していくためには、多様な意見を取り込む土壌が必要である。論理的飛躍とその定着にはその理論を考えるための人材なり、道具なりが揃っている必要がある。

異なる系統で研究しているというだけで全てを排除して言ってしまうと、最終的に考えるための道具が揃わない可能性がある。なので、研究分野を少しでも発展させるつもりであれば、一つでも多くの『考え』をその領域に集中させる必要があるだろう。

経営学なども、経営者(実務家)と学者が『自分の会社はうまくいっているから、学者の意見は役に立たない』とか『現実の問題は学術的には研究する意味がない』などとお互い安全な領域から文句を言ってないで、真に重要なものに向かって意見を深めていくような行動が必要なのでは?と思ったりもする。



[1] 『もちろん、物理学者も特に知的な慎ましさで知られているというわけではない。実際、物理学者以外の人間にとって、多くの場合心に浮かぶ文句といえば「耐え難いほどの傲慢さ」である。それは故意の態度でもないし、個人的なものでもない。イギリス貴族の無意識の優越感のようなものだ。心の中で、彼らは科学の貴族なのである。物理学の講義の履修届を出したその日から、彼らは陰に陽にその文化を吸収していく。彼らは、ニュートンの、マクスウェルの、アインシュタインの、そしてボーアの継承者なのだ。物理学はもっとも堅固な、もっとも純粋な、もっとも強靱な科学であり、物理学者はもっとも堅固で、もっとも純粋で、もっとも強靱な頭脳をもっている。(M・ミッチェル・ワールドロップ 『複雑系』p185 より)』

[2] 『量子革命―アインシュタインとボーア、偉大なる頭脳の激突 』2013/3 マンジット クマール (著), 青木 薫 (翻訳)

[3] P.51 『プランク当人も、量子を導入したことを「それほど重く考えず」、「まったく形式的な過程」と考えていたし、その日その場にいた者は全員、それと同じように考えていた。』

[4] P.80~81より 実験物理学者のミリカンは自身の実験によってアインシュタインの仮説が証明されたにもかかわらず、『その式の基礎となる理論はまったく支持できない』と述べた。

[5] P.303 『ハイゼンベルクは驚いてこう聞き返した。「でも、それはあなたが相対性理論を作ったときに基礎とした考え方そのものではありませんか?」アインシュタインは微笑んでこう言った。「うまい手は二度使っちゃいけないよ」「たしかに、わたしはその考え方を使ったかもしれない」と彼は認めた。「それでもやはりそんなものは馬鹿げた考えなのだ」。』

[6] ※このあたりの物理的解釈についての突っ込みは、いただいてもおそらく対応できません・・・。読み物だと思って読んでください。私自身の物理的解釈は間違っている可能性もありますが、まあ、この本の面白さは損なわれることはないので。

[7] P.415より ボーアはシュレーディンガーやアインシュタインが量子力学に対して批判をすることに対して『唖然とするばかり』だし、『大逆罪』に値すると批判をしたという記述がある。

コラム筆者プロフィール

大宮 昌治(おおみや・しょうじ)

筑波大学大学院理工学研究科卒
大手重電機メーカーで水処理プラント営業に従事
2003年 日本大学グローバルビジネス研究科(MBA)修了
2004年2月 株式会社インタービジョン(現:株式会社ヒューマンロジック研究所)
現在 株式会社ヒューマンロジック研究所 アナリスト(現在、組織分析、チーム設計等を担当)
理系大学院を出て、大手重電機メーカーに就職。新卒で何の関係もない営業に配属されたことで、『人事っていうのはどういうつもりで意志決定をしているん だ?』という疑問から人事コンサルに。
ガンダム、エヴァ世代、マンガも小説も群像劇が好き。特技は合気道。
複雑系や、エージェントベースシミュレーションなどに興味があり、それを応用した人事ソリューションを考えたいと思っている。

A 5  B 15  C 14  D 8  E 10

柔軟に物事を受け入れ、白黒とデジタルに判断することを得意とする。アナリスト型。

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